第1回 種牛の憂鬱

オオゲツヒメは『古事記』に登場する五穀や養蚕の起源神。鼻や口や尻から食べ物を取り出したために、食物を汚したと誤解したスサノオノミコトに殺されますが、そのあとも死体はつぎつぎと作物を生みつづけました。みずからを食肉として人間に提供してくれる家畜をオオゲツヒメにみたてながら、文化の違いをこえたオオゲツヒメの豊かな食卓を探訪してゆきたいと思います。

筆者はニューサウスウェールズ州の最北端にある山間部で文化人類学のフィールドワークをしていました。当時住んでいたのは、リッチモンド河畔にあるカシーノという田舎町。肉牛生産地帯のローカル・センターとして、ビーフ・タウンという別名が付いていました。知人の農場によく出入りしていたので、この地域の個人農場での肉牛の飼育方法は見知っていました。現在は宮崎県の和牛文化の研究に携わっていますが、「人が家畜と関係を結ぶ」という視点で畜産という生業を見るとき、日本と豪州の文化差を実感します。

筆者がカシーノで見た牧場の肉牛は、放牧で牧草を食べて育った、いわば野生児。自然交配で生まれた子牛を放牧して、大きくなったら出荷するサイクルです。一方日本の肉牛は、徹底管理されて乳母日傘で育ちます。徹底的に管理されるのは飼育環境よりもむしろ「生殖」。それに欠かせないのが優良種牛の精液です。

「和牛」という商標表示ができる牛肉は、日本に4種いる和牛品種に限られます。豪州WAGYU など、和牛の遺伝子は入っていても外国種との交雑種であれば「和牛」表示はできません。それに、和牛か交雑種かという問題は、肉の品質とは次元が異なります。資質と体積ともに良い成績が出る牛は、何代も血統を遡って編み出す交配戦略のたまものです。

口蹄疫禍から見えてくること

国や地域の家畜改良事業団は、長い年月をかけて技術の粋を集めて種牛を造成します。その中でも、頂点に立つ一握りのスーパースターが和牛ブランドの特色を固定してゆきます。さらに雌牛の血統との組み合わせを決めるには、経験知や公表データをもとにした予測が必要です。「だから牛は面白い」口を揃えて和牛農家さんたちは言います。そしてようやく、人工授精用の冷凍精液が雌牛のもとに届きます。気に入った雌牛との自然交配など、種牛にとっては夢のまた夢。徹底した生殖管理と知的ゲームで結ばれる人と動物の関係。これが日本の和牛文化独自の世界観だと言えるでしょう。

宮崎県では2010 年の口蹄疫発生にともない、県所有の種牛55 頭の大半が殺処分されました。安定して優良な成績の子牛ができる「スーパー種牛」は、55 頭のうちたった6頭(13 歳~ 5 歳)。県内の農家が使う冷凍精液の9割を供給していました。6頭から生まれた子牛の数は推定38 万5,000 頭。13 歳で最年長の福之国は19万8,100頭もの子牛の父でした。一頭の父牛にとってみれば、「肉を見れば我が子と思え」とさえ言える非日常的な数です。

2012 年春、児湯地区では再導入後に生まれた子牛たちの出荷が始まりました。出場子牛823 頭のうち実に726 頭が、6頭の県有スーパー種牛の子でした。秀菊安・福之国・安重守・忠富士・勝平正・美穂国(4位の忠富士は殺処分済)。各地方のセリ市には大量の異母キョウダイが並ぶわけです。徹底的な生殖管理。山深い小さな集落で、老夫婦が数頭の和牛を飼育している場であっても、人工授精や受精卵移植などの最新の生殖テクノロジーはあたりまえのように日々の暮らしと溶けあっています。

2012 年5 月の子牛セリ市名簿より(宮崎県児湯地区)。セリでは種牛のランク付けが発表される。6頭のスーパー種牛は、いまも変わらず大半の出場子牛たちの父親として人気を誇っている。

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