第6回 本当においしい牛肉の味 

「本日はA5の受賞牛をご用意いたしております」

日本の高級和牛レストランでは注文の際にこのような案内をしてくれることがあります。和牛肉にはA5からC1までの格付けがあります。枝肉を目で見て審査する日本独自の肉質評価基準です。

A〜Cは「歩留(ぶどまり)」(食用にできる肉量)の格付けで、多い順にAからCの3区分があります。数字は肉質の等級で、最高ランクの5から最低は1まで。味・におい・柔らかさ・キメ・しまり・そしゃく音・脂肪交雑(霜降り)の美しさ等の組み合わせで決まります。それに加えて受賞牛ともなれば地元や全国のさまざまな団体で開催されるコンテストで賞を獲得した肉ですから、同じ等級でも最高の味が期待されるという意味合いがあります。

これまで牛肉のおいしさをきめるのは脂肪の質と量だと考えられてきました。和牛改良の目標はサシ(筋肉内脂肪)が細かく入った霜降り肉を作ることであり、昭和から平成初頭までは30%程度だった和牛の脂肪含有量は現在では40%、多いものだと50%を超えることもあります。人間の体はこれほど大量の脂肪を含む食べ物を正常に処理しきれませんから、A5やA4の和牛肉はそれほど多く食べられないのです。

■変化する日本人の嗜好

近年、国策としての和牛改良方針の中心軸が転換を見せはじめました。農水省の『家畜改良増殖目標(平成22年7月)』では、生産コストの高いこれまでの「霜降り高級肉」をめざす和牛改良から、「平均的な品質で早く育つ」和牛づくりへとかじが切られました。これはひとつには、輸入肉との競争にさらされる畜産農家の生き残りをかけて生産性向上をめざすためです。もうひとつ、見逃せない理由があります。肉の味をめぐる日本人の嗜好が多様化してきたのです。

最近の農水省の調査によれば、近年の健康志向を反映して「赤身肉を好む安全・新鮮指向群」が若い世代を中心に現れているそうです。手ごろな価格の赤身の肉でいいから肉を常食したいという消費者のニーズはよく理解できるところです。しかし、高価だから、あるいは健康を心配するからという理由で霜降り肉が好まれなくなったということではなさそうです。従来の霜降り肉を嗜好する消費者群は変わらず存在します。嗜好の多様化は、現代日本人の暮らし方そのものの変化に根ざすようです。

■牛肉の味は“しあわせの味”

現代は「個食」の時代と言えるでしょう。一人暮らしではなくても、家族がそろって食卓を囲む機会は減ってしまいました。思い起こしてみれば、肉食が家庭に普及しはじめた昭和の高度成長期以来、日本人は牛肉をどんな場面で食べてきたでしょうか。例えば「すき焼き」は、特別な日の家族団らんの思い出と重なるのではないでしょうか。

「家庭で食べる牛肉はハレの日のご馳走でした。大脳がそのしあわせな思い出を呼び起こすから、日本人にとって牛肉の味は“しあわせの味”なんですよ」

昨年宮崎県で開催された「肉用牛研究会」の年次大会、その基調講演での言葉です。家畜改良と畜産学をご専門とされる理系の先生方が、牛肉というご馳走に対する日本人の感情とその底流にある食文化を指摘されていました。文化人類学者の筆者にとって心そそられる分析視角です。だから日本人は気分的に一人では(高級)和牛は食べないとすれば、個食の現代社会では、しあわせな思い出と牛肉の味が結びつく機会は減ってしまいます。

「しあわせな時においしいものを、お金をかけて皆で食べるという伝統的な日本の食文化を絶えさせてはいけない」、「子供たちが和牛の“しあわせの味”をはっきり覚えるような食育を」。獣医学・畜産学を専門とする科学者が集う学会で、文化的要素を重要視する意見が飛び交いました。「和牛は文化」なのだという思いを強くした貴重なフィールドワークでした。

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