第3回 「第一歩は豪州での系統を調査」

 ベルツリー・オーストラリア代表・鈴木崇雄

「WAGYU」と一口に言っても、その系統、特色はさまざまです。わたしの豪州での「WAGYU」を扱う仕事の第一歩は、どのような系統の牛が豪州にいるのか、その系統はどのような特徴を持っているのかを調べることから始まりました。

幸いにして、豪 州には豪州和牛協会(AWA)と言う登録機関が存在します。豪州で扱われている「WAGYU」のほとんどはこの登録機関に血統、生年月日、子孫の数がデー タベースとして登録されています。さまざまな「WAGYU」の種雄牛の血統書を取り寄せて、その血統書から祖先の血統を探り出していきました。そして、系統ごとの特色を日本の和牛の系統の特色に照らし合わせて、特色を判断しようとしました。

豪州に存在する「WAGYU」の祖先は、日本から米国に輸出 されたものが基になっています。米国への「WAGYU」の輸出の記録は1975年にまでさかのぼります。75年に「RUESHOW」、「JUDO」と言う 褐毛和種と「MAZDA」、「Mt. FUJI」と言う黒毛和種の種雄牛4頭が研究目的で米国にわたった記録があります。この後76年に「ITOTANI 7」を含む2頭の黒毛和種が渡っています。

現在の米国、そして豪州で登録されている「WAGYU」の基幹牛が日本から米国に渡ったのは90年代以降 と記録されています。「MICHIFUKU」、「HARUKI 2」が輸出されたのをはじめとし、90年代後半までに推定で約18頭の種雄牛と約50頭の雌牛が米国に渡りました。以降、米国にてこの基幹牛を使った 「WAGYU」繁殖が盛んになりました。このようにして、「WAGYU」は米国での繁殖を経て1997年に豪州に入ってきました。

日本での牛の繁殖 には、一般的に人工授精を用いた交配方法をとります。これは、優れた血統の種雄牛の精液を使うことによって安定した肉質の形成を図れるからです。つまり、 一般的に種雄牛として残される雄牛の割合はかなり低いと言うことです。種雄牛候補は、直接検定、間接検定、現場後代検定などを経てその能力を判断された上 で初めて種雄牛として市場に出ます。

米国や豪州での「WAGYU」の使用目的は、主にアンガス種との交雑種を作ることにありました。どちらの国で も、牛の繁殖には種雄牛を直接雌牛群と一緒にして交配させる「本交」と言うやり方が主流です。そのため、「WAGYU」の価値が市場にて認められていくと 共に多数の種雄牛が必要になりました。これは、本交で使用した場合の種雄牛の寿命が短いためと、広大な放牧地をまかなうために、多数の種雄牛が必要なため です。このため、米国と豪州での「WAGYU」の種雄牛の形成は、需要先行のものとなりました。すなわち、多くの雄子牛がその系統の特色や能力の有無を判 断されないまま種雄牛として残されていくことになったのです。

わたしが、豪州にて目にした「WAGYU」の血統書の中にもそうして繁殖された種雄牛 のものが多数ありました。そこで、「WAGYU」の能力を血統書の内容からでは判断できないと思い、とりあえずすべての牛の情報をデータベース化した上 で、肥育結果から判断しようと試みました。こうして、データベースの中には600頭以上の種雄牛の名前が登録されることになったのです。この作業は、後に わたしの「WAGYU」血統解説に大きな利益をもたらしてくれることになりました。

鈴木 崇雄

投稿者プロフィール

シドニー近郊のブルーマウンテンにある和牛牧場「 ベルツリー・オーストラリア」代表。日本人が営む唯一の和牛牧場として、オーストラリアで注目を集めている。

この著者の最新の記事

関連記事

アーカイブ

ウェルスのトリビア

上場計画を再始動したカキの養殖会社イースト33によると、シドニーロックオイスターの価格は上昇していますが、過去5年間で何%上昇したでしょうか?(答えは記事中に)

ページ上部へ戻る