編集後記・湖城の窓から- vol.454

2020-6-12

【編集後記】

3連休に車で遠出をしました。サービスエリアのマクドナルドは混み合っていましたが、店内飲食向けの座席数が限られていたため、テイクアウトし駐車場で立ち食いする家族が散見されました。コロナ後のニューノーマルかと思いつつ、立ち食いに慣れないアタシは行儀良くしっかり座って食べました。車の中で。(岩下)

3連休に釣りに行こうと思いました。が、釣りで人気のビクトリア州のワーフで警察による社会距離違反の取り締まりが散見されました。しかし、大人数のデモはおとがめなし。そのため釣りはまたの機会に。警察もメディアを恐れるのがコロナ後のニューノーマルかと、メディアのワタシはしっかり思いました。家の中で。(西嵐)

3連休に親孝行を思い立ち実家にスカイプしました。ところが在宅勤務の我が弟夫婦が、子の世話を母親に頼み大忙しの様子。孫可愛さにつけ込んだ、ありがちな3世代協力体制ですが、5才と7才に70才がついて行けず、コロナ後のニューノーマルにはならないと、第三者のオイラはしっかり見極めました。スマホの画面の中で。(尋助)

【湖城の窓から】

「日本人の挑戦」

農業に関わる在豪日本人としては、オーストラリアにおける稲作のパイオニアの高須賀穣を忘れる訳にはいかないと思います。まさに今、世界各地で抗議運動が広がっている人種差別が、「白豪移民制限法」という法律の下、当然視されていた20世紀初頭のオーストラリアで、日本から籾を持ち込みコメ作りを基盤にのせた人です。

彼の活動をまとめた書物によると、土地を借りることから資金の調達まで、苦難の連続だったようです。また、実際の米作りでも、堤防を自らの力仕事で造成し、しかし突然の大雨で決壊、水田が大水に飲まれた時には、もう絶望しかなかったのではと推測します。ただ幸運なことに、その後も米作を続けていくのに必要な種子だけは残り、1913年に商業栽培に成功します。高須賀が米作りを始めたのは40才を過ぎてから。成功した時は48才でした。

当時、ビクトリア州政府は高須賀の支援要請にあまり協力的ではなかったようです。今、米生産の98%を担うサンライスが、政府に水市場への介入を求めていますが、あまり前向きではないようです。行政は昔も今も変わりません。【ウェルス編集長】

【ウェルスのトリビア ~今週の紙面から~】

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ウェルスのトリビア

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